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温室に揺れる金の粒 の表紙

温室に揺れる金の粒

よはく

溺愛2025/12/18

1

夕方の風が校舎の壁をかすめ、薄金の粒が空気に漂っていた。私は生徒会室の前で息をのみ、指先の汗を制服の裾でそっと拭った。扉の向こうで誰かが書類をめくる音がする。それが、彼の気配だとすぐにわかった。 「入っていいよ」低く響く声。 その穏やかさに、胸の奥が妙にざわつく。 扉を開けると、窓辺に立つ一ノ宮玲司が振り向いた。逆光に縁取られた横顔は、近づきがたいほど整っている。なのに視線はまっすぐ私に吸いついたようで、思わず足が止まった。 「さっきの件だけど」彼はゆっくり歩み寄る。「無理に笑う必要なんてない」 頬にまだ熱が残っていた。昼休み、クラスメイトの軽口に腹が立って、思わず平手を飛ばしてしまった。周りは凍りつき、私だけが取り残された気分だった。 「…見てたの?」 問うと、彼は片眉をわずかに上げた。 「君のこと、放っておけると思う?」 ふと、手が伸びてきた。触れはしないのに、その距離がやけに近い。風が途切れ、部屋の粒子が静まったように感じた。 「でも、あれは…」言いかけた私の声を、彼の微かな息がさらう。 「正しいかどうかじゃない。君が傷つく方が嫌だ」 その言葉が胸に沈んだ瞬間、遠くでチャイムが鳴った。彼は少しだけ視線を伏せ、何かを言いかけて口を閉じる。 残された静けさに、風がまた流れ込んだ。 彼の指先がわずかに揺れ、触れそうで触れなかった距離だけが、妙に熱を帯びていた。 その理由を、私はまだ知らない。

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ビンタ

2

生徒会室を出たあとも、夕方の光がまぶたに残っていた。階段の踊り場で少し息を整えると、背後から足音が近づく。ゆっくりした、迷いのない歩幅。振り返る前に、誰か分かった。 「さっきの続き、言いそびれた」 一ノ宮は欄干に片手を置き、淡い橙に染まる空を見上げた。風が彼の前髪を揺らすたび、影が目元に落ちる。その陰が消える瞬間だけ、やけにまっすぐ私を見てくる。 「君って、強いよ」 低い声なのに、言葉の端が少し震えていた。 「強くなんか…ないよ」 そう返すと、彼は短く息を吐いた。呆れたようで、でもどこか痛そうで。 「じゃあさ」彼は少し俯き、指先で欄干をなぞる。「弱いところも、俺に見せればいい」 その仕草が普段より不器用で、胸の奥がざわついた。夕陽が彼の横顔を縁取ると、薄い粒が風に舞って、輪郭が揺れて見える。 「放っておけないんだよ。君のことになると」 その言葉だけは、真っすぐ落ちてきた。 私は返事を探したけれど、喉がうまく動かなかった。彼もそれに気づいたのか、視線をそらし、階段の影を見つめる。 「…明日、時間ある?」 抑えた声が、私の耳の奥に静かにしみ込んだ。 何のために、とは聞けなかった。聞いたら、もっと近づいてしまいそうで。

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彼についてもっと掘り下げて描写して

3

放課後の空気には、昼の熱がわずかに残っていた。昇降口へ向かう途中、校舎の影が長く伸びて、足元をすべるように追いかけてくる。明日のことを考えるだけで、歩幅が揃わなくなる。 靴を履き替えていると、入口のガラス越しに気配が立った。光が揺れて、彼の影が伸びる。 「…帰るの、遅い」 一ノ宮は少し眉を寄せ、扉を押し開けた。外の風が流れ込み、彼のワイシャツをわずかに膨らませる。 「待ってたの?」 声が思ったより小さくなり、靴音に吸われた。 「うん」 即答だった。 その一言の温度が、靴紐をつまむ指先まで伝ってくる。 「明日のこと、嫌なら言って。無理させたくない」 視線を合わせずに言うその様子が、普段の彼とは少し違って見えた。肩のあたりがわずかに強ばり、風に触れた影が揺れる。 「…嫌じゃないよ」 そう言った瞬間、彼の目がゆっくりこちらへ向いた。夕焼けの粒がレンズに触れたみたいに、光が跳ねる。 「そっか」 ほんの一息だけ、表情がほどけた。 昇降口を出ると、アスファルトに薄い金色の波が揺れている。彼は私の歩調に合わせ、半歩うしろを歩いた。何も言わないのに、距離だけが確かに寄り添ってくる。 「明日さ…君に見せたい場所がある」 風がその声を運び、背中にそっと触れた気がした。 どこだろう、と聞きたくて。でも、聞かないほうがいい気もして。 そのためらいごと、夕暮れの色に沈んでいった。

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4

翌日の空気は、朝の冷たさがまだ残っていた。彼に連れられて辿り着いたのは、校舎裏の古い温室だった。ガラス越しに柔い光がこぼれ、白い埃がふわりと舞っている。 「ここ…誰も来ないんだ」 一ノ宮は扉を押し、私が先に入れるよう手をどけた。 湿った土の匂いがして、胸の奥が少しだけ落ち着く。彼は棚に手を置き、視線だけこちらへ向けた。 「昨日のビンタ…理由、言いたくなければいい」 低い声なのに、どこか探るようで。 私は指先をぎゅっと握った。温室の静けさが、逃げ場をなくしていく。 「…あの子、私の家のこと言ったから」 声が少し掠れた。 「父がいないの、面白がって…」 言った途端、胸の奥がざわつき、視線を落とす。彼は一歩だけ近づき、けれど触れはしなかった。動きが止まった空気に、光の粒だけが揺れている。 「それで…叩いたの?」 彼の声は驚きより、痛むような色を帯びていた。 「…うん。気づいたら、手が出てて」 彼はゆっくり息を吸い、額に落ちた前髪を指で払った。その仕草が普段より雑で、胸がつまる。 「君のこと、そんなふうに言われて…平気なわけないよな」 言葉の端がわずかに震えた。 「でもさ」 彼の影が近づき、温室の光が二人の間に沈む。 「もしまた誰かが傷つけようとしたら…俺が止める。君の手が痛む前に」 その言い方があまりに真っ直ぐで、喉の奥が熱くなる。 目を逸らした瞬間、彼の靴がわずかに砂を踏んだ。 「…続き、話してほしい。君が平気なところまででいい」 光の粒が揺れ、静けさの中に小さな余白が生まれた。 私は息を整え、もう一度口を開こうとした。

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ビンタの理由を明らかにして

5

温室の隅で風が途切れ、空気が薄く震えた。 続きを話そうとしたのに、喉の奥がひきつって声が出ない。土の匂いが胸のあたりでまとわりつき、指先がじんと痺れた。 「言わなくていい」 一ノ宮が小さく息を落とした。 「無理してるの、見れば分かる」 その声が静かすぎて、余計に胸が締めつけられた。 顔を上げると、彼は眉の奥にかすかな痛みを宿していた。触れそうで触れない距離で、片手が宙を迷っている。 「君が我慢してると…ここが、重くなる」 彼は胸元を握った。爪で白くなった指が震えていた。 そんなふうに言われるなんて思ってなかった。 言い返そうとしたのに、代わりに息がこぼれた。 「誰にも言えなかったの」 視界が揺れて、温室の光が滲む。 「私だけ、置いていかれたみたいで」 一ノ宮はすぐ動かなかった。 ただ、呼吸を確かめるように一度だけ目を閉じ、そっと距離を詰めた。 「置いてかないよ」 触れないまま囁く声が、肩のあたりを温かく通り抜けた。 「君が泣きそうになる理由、全部…俺に預ければいい」 涙じゃなく、別のものがこみ上げてくる。 彼の影がわずかに揺れ、温室の粒子がその輪郭を包む。 「ねぇ」 彼が控えめに呼んだ。 「もう少し…話してもいい?」 光が静かに跳ね、次の言葉が胸の底で形になろうとしていた。

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読者の涙を誘うような、胸が締め付けられる瞬間を描写してください。

6

温室の空気がわずかに揺れた。 言葉にしようと口を開くたび、胸の奥の硬い塊が軋んだ。 「少しだけでいい」 一ノ宮は棚の影に指を置き、視線だけこちらへ寄せた。 「君の声…ちゃんと聞きたい」 その言い方があまりに丁寧で、息が詰まる。 私が黙ると、彼はためらうように一歩近づき、手を伸ばしかけて止めた。 光の粒が指先に縁どられ、触れもしないのに熱が伝わる。 「昨日、泣きそうだったよね」 かすれた声。 「俺、あれ見て…何もできなかった」 俯いた彼の肩がわずかに震えていた。 その弱さが胸の奥を掻き立て、気づけば言葉がこぼれた。 「…ひとりで平気って、思われたくなくて」 吐いた瞬間、身体が軽くなった気がした。 一ノ宮はゆっくり顔を上げた。 驚いたように目を細め、次に、小さく息を吸った。 「そっか」 囁きに近い声で言うと、静かに距離を詰めた。 指先が頬に触れそうで触れない場所を彷徨う。 肌の表面がそわつき、呼吸が乱れる。 「平気じゃない時、俺の名前…呼んでよ」 風も止まるほど静かな声。 「駆けつけるから。何があっても」 胸の奥で何かが跳ね、視界がじんわり揺れた。 名前を呼べるだろうか、と思った瞬間、彼の指先がほんの一瞬だけ頬の近くをかすめた。 触れてはいないのに、火が灯ったみたいに熱が広がる。 思わず息を飲むと、彼はすぐに手を下ろし、照れたように目をそらした。 「…ごめん。近すぎた」 その声が少し掠れ、温室の光が彼の横顔を淡く染めた。 その距離を、もう少し縮めたくなる衝動だけが、胸の奥に残ったままだった。

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二人の距離が縮まる胸キュンの瞬間を描写してください。

7

温室の扉が、風でもないのにかすかに鳴った。 私と一ノ宮が同時にそちらを見る。 けれど誰もいない。光だけが揺れて、埃の粒が舞い上がった。 「…驚かせた?」 一ノ宮は小さく笑ったが、目の奥だけが硬い。 さっきまでの柔らかさとは違う影が、彼の横顔に落ちていた。 「実はさ」 彼は棚に触れた指をゆっくり握りしめた。 「君の家のこと…前から知ってた」 息が止まった。 胸の奥がきゅっと縮まり、体温が一瞬で引いた。 「ごめん。言うつもりなかった。ただ…」 彼は目を伏せ、言葉を探すように間を置いた。 「誰より早く気づいてたのに、何もできなかったのが…ずっと引っかかってた」 温室の光が、彼の肩を薄く縁取る。 悔しさとも痛みともつかない色が、その影に滲んでいた。 「君がひとりで抱えてるって分かってて…俺、勝手に距離置いてたんだ」 彼の声が震え、指先が棚を強く押した。 「近づいたら、余計苦しくさせる気がして」 そんなふうに思っていたなんて、知らなかった。 胸の奥に残っていた塊が、別の形に揺れた。 「でもね」 一ノ宮はゆっくり顔を上げた。 「昨日の君を見て…もう、迷えないって思った」 風が吹いていないのに、光の粒がふっと揺れた。 「君を守りたいとかじゃない。そばにいたい」 その言い方が、まっすぐで、逃げ場がなかった。 返事が喉でほどけそうになった瞬間—— 温室の外から、小さな影が動いた気配がした。 足音ではない、けれど確かに何かが近づいてくる気がした。 私も一ノ宮も、そちらに視線を向けたまま、息を止めた。

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予想だにしない展開に発展。意外性がありつつも、これまでの伏線や感情が腑に落ちる流れにして。

8

ガラスの向こうで影が揺れた。 風もないのに、葉がひとつ震える。私と一ノ宮は、息を潜めてその揺れを追った。 「…猫だ」 彼が少しだけ肩を落とした。 温室の隙間から、小さな三毛が顔を出す。ガラスに鼻を押しつけ、くぐもった声で鳴いた。 緊張がほどけたせいか、膝の力が抜ける。 一ノ宮がすぐそばで、安堵の息をこぼした。 「驚かせたな」 彼は自分の胸に手を当て、苦笑した。 その仕草があまりにも無防備で、胸の奥がじわりと熱を帯びた。 「さっきの…続き、聞いてもいい?」 そう言った彼の声は、影よりも弱く揺れていた。 私は視線を落としたまま、小さく頷いた。 「そばにいたいって、言ったでしょ」 口にした瞬間、鼓動が耳に触れた気がした。 「…それ、嬉しかった」 一ノ宮の呼吸が止まり、次にゆっくり解ける。 近くにいるのに、触れていないのに、距離が変わっていくのが分かる。 「じゃあ…」 彼は一歩近づき、光の縁の中に立った。 「これからも、君の隣にいていい?」 温室の外で、猫がもう一度鳴いた。 その声が、返事を急がせるみたいに響いた。 言葉にならないまま、唇が震えた。 彼が不安そうにこちらを覗き込む。 その視線の熱が、喉の奥をくすぐった。 返事をしようとしたその時、 猫がガラスの隙間から身をすり抜け、温室の中へと踏み込んできた。 柔らかな足音が、沈黙を優しくほどいていった。

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9

猫が足元をくるりと回り、乾いた土をかすかに踏んだ。 その柔い音に、張りつめていた空気がゆっくりほどけていく。 一ノ宮はしゃがみ込み、猫の背を指先で撫でようとして、途中で手を止めた。 「…今、返事待ちだったのに」 控えめな声。視線だけこちらに向けてくる。 胸の奥がざわつき、言葉がすぐには出ない。 猫が私の靴に鼻を寄せ、短く鳴いた。その体温が伝わって、呼吸が浅くなる。 「隣に…いてほしいよ」 やっと絞り出すと、一ノ宮の肩がわずかに揺れた。 彼はゆっくり立ち上がり、光の粒の中でまばたきをした。 「本当に?」 声が少し掠れ、指先が宙を迷う。 触れたいのに我慢しているのが、すぐ分かる距離。 「嘘つかない」 そう答えると、彼は小さく息を飲み、目の奥の影がほどけていった。 「…そっか」 囁くように言うと、指先がほんの一瞬だけ私の袖をかすめた。 触れたかどうか分からないほど淡いのに、熱が広がる。 猫がふいに棚へ跳び乗り、鉢の葉が揺れた。 その揺れを目で追った瞬間、一ノ宮がかすかに微笑んだ。 「じゃあ…これから、ちゃんと隣にいる」 決意とも安堵ともつかない声が、温室の光に滲んだ。 その言葉の続きを、私はまだ知らなかった。

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10

猫が棚の上で尻尾を揺らすたび、光の粒がふわり散った。 その小さな揺れが、胸の奥のざわつきを落ち着かせていく。 一ノ宮は私のほうへ向き直った。 迷いの影はもうなかった。ただ、静かに熱を帯びたまなざしだけがそこにある。 「…言ってほしい言葉があるんだけど」 低く落ちる声。袖に触れた指先が、また宙で止まる。 「今日だけじゃなくて、これから先も…君の隣にいたい。ずっと」 胸の奥で何かが柔らかくほどけた。 答えはもう決まっていたのに、喉が少し震えた。 「…いてほしいよ。一ノ宮くんに」 口にした瞬間、温室の空気が揺れ、光がきらり跳ねた。 彼の肩がわずかに落ち、安堵の息が触れもしない距離を温める。 「名前、呼んで」 小さく囁く。 その声が、ずっと見せなかった弱さと願いを滲ませていた。 胸の奥が熱で満たされ、息が吸いにくくなる。 でも、逃げたい気持ちはどこにもなかった。 「…玲司」 呼んだ瞬間、彼の表情がほどけ、光が頬のあたりに淡く降りた。 たぶん、ずっと見たかった顔だった。 「…来るよ。何度でも」 彼はそっと手を伸ばし、今度は引かずに私の指先に触れた。 触れたところから熱がにじみ、身体の奥までゆっくり染みていく。 猫があくびをして、鉢の葉がまた揺れた。 その揺れに合わせて、私たちの影も重なる。 「これからは…置いていったりしない?」 思わずこぼすと、玲司は指を絡め、ほんの少しだけ力を込めた。 「しない。君が望む限り、ずっと隣にいる」 外の光が温室のガラスを透け、細い粒子が舞い上がった。 その粒が二人の間に落ち、やがてゆっくり溶けていく。 重なった手の熱と、彼の呼吸の近さ。 それが、ようやく掴んだ答えだった。 温室の扉の向こうで風が動いた。 新しい季節の気配が、そっと私たちの間を撫でていった。

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